ゆずの葉ゆれて

Comment


─ from the author ─ 原作:佐々木ひとみ

 私が紡ぐ物語は、「土着のファンタジー」だと思っている。その土地ならではの土の匂いや風の色、人の息づかいや温もりが根底にある、ちょっと不思議な物語だ。
 ──原点は、「ふるさと」にある。生まれ育ったのは、茨城県北部の山の中。山間に小さな集落が点在する、高原(たかはら)という地区だ。当時の高原は、身近に店も病院もなく、街に出るバスは一日数本きり。赴任する先生に「僻地手当」が支給されるような、県内屈指の不便な地域だった(残念ながら、その不便さは今もかわらない)。
 見渡せば、目に入るのは山と田んぼと畑だけ。時は高度経済成長期で、テレビからは景気のいい楽しげなニュースがたくさん流れてきていたが、すべて外国の話のようで、自分の暮らしとはちっとも結びつかなかった。
 楽しいものなど何もなく、あるものといったら自然だけ。そんな環境で育った私の何よりの楽しみは、「本」だった。教育熱心だった両親や教師をしていた伯父が、幼いころから絵本を与えてくれたおかげで、小学校に入学すると同時に物語の面白さに目覚め、むさぼるように読み始めた。本は、山の中で暮らす私と山の向こうの世界とを結んでくれる窓だった。そして、私をはるか遠い世界へと連れ出してくれる扉でもあった。
 特に気に入っていたのは、壺井栄の『二十四の瞳』や井上靖の『しろばんば』、そして椋鳩十の『自然の中で』だ。これらの作品には、共通点がある。『二十四の瞳』は香川県小豆島、『しろばんば』は伊豆湯ヶ島、『自然の中で』は長野県喬木村と、それぞれ作者のふるさとを舞台に描かれた作品であるという点だ。作品の中に登場する、見たこともない風景や、珍しい風習・行事、聞いたこともない言葉が、絵空事ではなく、実際に「ある」ということに強く惹かれた。
 こうした作品を読む楽しみは、他にもあった。自分や自分が暮らしている場所との共通項を見つける楽しみだ。たとえば、『二十四の瞳』には岬の分教場とそこに通う十二人の子どもたちが出てくる。すでに小中学校とも廃校になってしまったが、私の同級生は一八人、中学校は分校だった。『しろばんば』には、おぬい婆さんという他人ながら家族以上に近しい人が出てくるが、実は私にもそういう人がいた。『自然の中で』には、信州の自然の中での少年の暮らしが丁寧に描かれている。四季折々の風物や子どもならではの繊細な心の動きには、共感できる箇所が多々あった。これらの本を繰り返し読むうちに、私はあることに気づいた。それは、本を読む前と後では、風景が違って見えるということだった。何気なく見ていたものや当たり前だと思っていたものが、意味あるものとして見えてくるのだ。モノクロの景色が急に色を帯びるような、不思議で新鮮な体験だった。
 振り返ると、こうした生い立ちを持つ私が児童文学作家を志すにあたって、「ふるさとを書きたい」と思ったのは、自然な流れであったような気がする。私の児童書デビュー作『ぼくとあいつのラストラン』には、私のふるさと高原が、そのままの地名で出てくる。描いた風景や風習はすべて本当にあるもの、あるいはかつてあったものばかりだ。
 たとえば私と弟は、隣の家のおじさんとおばさんを、「ジイちゃん」「バアちゃん」と呼んで育った。ジイちゃんは、私が物心ついた頃にはすでに寝たきりになっていて、小学校低学年のときに亡くなった。当時の私はたいへんな怖がりだったが、お葬式の時「ジイちゃんのお化けなら見てもいいな」と本気で思い、「天国ではジイちゃんが一番楽しかった頃の姿で、思いっきり走れますように」と祈ったことを覚えている。
 寝たきりだったジイちゃんが、少年の姿となって、夜空に駆けのぼってゆく。まずそのシーンが浮かんだ。そしてそれが、物語の核になった。
 ふるさと・高原への想いを込めて書いたこの作品が「新・童話の海」入選作として出版され、「第二十回 椋鳩十児童文学賞」を受賞したときは、ふるさとを書きたい思いを肯定していただけたようでうれしかった。
 また、時を置いて映画化が決まったときは、ふるさとを書く意義を再認識すると同時に、この作品が持つ生命力のようなものを強く感じた。手を離れてからしばらく経つが、その間もひたむきに走り続けていたことに胸を打たれた。
 今、『ぼくとあいつのラストラン』は、映画『ゆずの葉ゆれて』として走りはじめた。この二つの作品が、ヒサオとタケのように並走しながら、どこまでも、いつまでも、走り続けてくれることを願って止まない。

プロフィール

─ from the director ─ 監督:神園浩司

 原作を読んで、丘の上にひっそりと立つ一本のゆずの木が、水彩画で描かれているのを思い浮かべました。木の向こうには、薄い青色の空と濃いめのブルーをまとった海が見えるのです。お話は近所のおじちゃんが亡くなって葬儀が終わるまでの3日間。悪い人は一人も出てきません。大きな事件が起きるわけでもなく、葬儀が淡々と進んでいきます。
主人公の少年の悔悟と希望を織り交ぜながら・・・。
こころ静かに眺めると、沁みわたってくるような水彩画のような映画にしたいと、原作を読んで決心したのを、ついこの間のように思い出します。
 映画の舞台となったのは、鹿児島の錦江湾に面した喜入という小さな町です。海に面した港町から山のふもとに広がる農村地帯まで、多様な表情を持つ町ですが、例にもれず過疎化と住人の高齢化という問題を抱えています。しかし喜入には、世界最大級といわれる規模の石油備蓄基地があるのです。大自然にあふれた風景の向こうに見える巨大な石油タンク。このアンバランスさが、日本の農村の危うさとリアル感を映画に与えてくれています。
 ここからは、本作のネタバラシにもなりますが、「いっしょに走ろうぜ」とタケの前に現れるもうひとりの少年は、別世界からきた存在です。タケはその少年の願いをかなえようと奮闘する。ファンタジーともいえる物語なのに、人が死ぬことを目をそらさずに正面からとらえています。人の死は、悲しさや淋しいさという気持ちだけではない、何か大きなものを私たちに残してくれている、そんな気がしてなりません。

プロフィール

─ from the producer ─ プロデューサー:三角清子(薩摩川内市出身)

 私が今から二十年近く前にプロデュースした『微笑みを抱きしめて』(1996年)は、カナダの有名な児童文学「パパのさいごの贈り物」(ジーン・リトル著)を翻案して、児童映画界の黒澤明と呼ばれた名匠・瀬藤祝監督に演出していただき、文化庁優秀映画作品賞を受賞し、文部科学省選定作品に選ばれました。
 映画の舞台を私が生まれ育った薩摩川内市(旧川内市)に設定し、昭和の原風景の中で癌に侵された父親とその家族の絆が描かれ、勝野洋さん、宮崎淑子(現・美子)さん、樹木希林さんといった経験豊富な俳優さんたちに混じって、オーディションで選ばれた地元の子供たちがのびのびと演技をしていた姿が昨日のことのように思い出されます。また撮影に協力していただいた川内の人々への感謝の気持ちは、今でも忘れたことはありません。
 その後も鹿児島市が主宰する「椋鳩十児童文学賞」受賞作品を題材に、鹿児島を舞台にして撮影できる作品を探していました。「椋鳩十児童文学賞」受賞作品では、ひこ・田中さん原作、相米慎二監督の『お引っ越し』や風野潮さん原作、塩谷俊監督の『ビートキッズ』が映画化され話題を呼びました。田畑智子さんや相武紗季さんなど現在も活躍している俳優さんの若き日の演技が見られます。
 『ゆずの葉ゆれて』の原作「ぼくとあいつのラストラン」は第20回 椋鳩十児童文学賞を受賞した佐々木ひとみさんの作品で、隣家のジイちゃんの死をきっかけに、小学4年の少年が成長していく姿が描かれています。
 映画化にあたり、海があり、山がある農村地域の喜入地区での撮影ならば原作が生きると考え、シナリオではジイちゃんとバアちゃんの出会いやジイちゃんの生き様、現代人が希薄となりつつある「心の豊かさ」を求めて「やさしさやぬくもり」を通じて「本当の幸せとは何か」を気づいてほしいと思っています。
 老夫婦には、日本映画全盛期から活躍している津川雅彦さん、松原智恵子さんに演じていただき、深みのある演技に撮影中から心が打たれました。今も鹿児島に残っている日本人の「礼節」や「地域のつながり」を描いて、神園監督が温かみのある作品に仕上げてくれました。この映画が持つ「日本の心」を全世界へ発信していきたいと考えています。

プロフィール

戻る