ゆずの葉ゆれて

Production Note(取材:神園浩司監督・日垣一博助監督)

撮影までの準備と雨の中のロケハン

ゆずの葉ゆれて 『ゆずの葉ゆれて』の原作「ぼくとあいつのラストラン」は、鹿児島市が主催する椋鳩十児童文学賞受賞作品ということもあり、ロケ地として鹿児島市喜入地区にご協力いただけることが決定した。2015年8月初旬のクランクイン(撮影開始)に向けて、監督とは旧知のベテラン制作部二人が先乗りして、映画への協力のために発足した支援する会の代表・渕田攻会長の協力の下、地元を駆けまわった。メイン舞台となるジイちゃんとバアちゃんの家(農家)探し、武の通う小学校などの教育機関やロケ先への撮影許可、地元の行事や産業の下調べ、さらには、撮影期間中のキャスト、スタッフの衣食住の環境作りも重要な課題だ。
 6月半ば、メインスタッフによるロケハンが行なわれたが、この年は、4月頃から大雨続きで土砂災害が起きるほど。結局、4日間の滞在中、すべて雨という事態に見舞われた。雨の中をロケ車で移動する監督とメインスタッフは、悪路となった山道で車酔いに悩まされながら、ロケ中止の恐れもあるのではと不安が過った。事実、クランクアップの日まで、撮影隊は雨と台風の合間を縫うようにロケ撮影を続けることとなった。


東京――鹿児島間をトンボ返りする神園監督

 7月5日より、本格的な撮影準備がはじまった。映画を支援する会のご厚意によって、喜入では唯一のホテル、シーメンズクラブをベースに、まわりの空き家を数か所、スタッフの宿泊と撮影機材や装飾の倉庫、会議室として確保していただく。支援する会を中心に樋高さんの個人的なネットワークで支えて頂き、無償で提供していただける物件もあった。もちろん地元の喜入商工会の協力も仰いだ。
 同時に都内では、演出部、衣裳部、装飾部を中心に、出演者の衣裳・小道具合わせが行なわれた。神園監督は、現地での準備と都内での準備のどちらにも参加しなければならないため、時には、東京、鹿児島間をトンボ返りするという強行スケジュールの日々が続いた。


棒踊りで、度胸と仲間意識を身につけた子役たち

ゆずの葉ゆれて 武役の山時聡真と、ヒサオ役の木村隆信は、共に県外からの参加となる。そのため、撮影は彼らの夏休みを利用することになった。しかし、実質上のクランクインは、7月26日に予定されている喜入の夏祭りの大掛かりな撮影となる。この場面では、聡真と、武のクラスメイトで徒競走のライバルでもある、拓也役の内薗尚樹が、祭りで披露される棒踊りに参加することになっていた。
 棒踊りとは、戦国時代に武器を持つことを許されなかった農民、町民が、木製の薙刀や木刀、鎌等を使って身につけた、防御、攻撃術を踊り化したものだといわれている。手にした棒を武器に見立て、歌と掛け声に合わせて踊るものだ。内薗は、地元在住にもかかわらず転校してきたばかりで棒踊りの経験がない。週末を利用して通ってくる聡真と共に、中名下集落棒踊り保存会の子供たちと共に練習に打ち込んだ。本番当日、暑さと緊張のためにフラフラになっても頑張った二人。その甲斐あって無事、本番を乗り切った二人だが、このシーンをはじめに撮影したことで、聡真と内薗のあいだにも仲間意識が芽生え、はじめての映画出演にのぞむ覚悟と度胸も身につけたようであった。
──本格的な芝居場は、8月8日からクランクインを迎えた。


日本映画黄金期のスター女優は健在 現場の要請に応える松原智恵子の演技力と活動屋魂

ゆずの葉ゆれて バアちゃん役の松原智恵子は、往年の日活映画ではヒロインを多く演じてきた女優である。お嬢様のイメージが残る彼女に、農業従事者の役は無理があるように思われるが、バアちゃんは元々、良家のお嬢様出身という設定である。松原の撮影はじめは、身体の自由が利かないジイちゃん(津川)の代わりに畑仕事をこなす場面であったが、鍬や一輪車を扱う様子やオクラを収穫する姿も堂に入ったもので、自身のイメージを逆手に取って、農家の妻となった女性の生活感を体現してみせた。松原の演技には、常に現場の要請を裏切らない責任感と自信があふれていた。
 重いシーンの撮影にもしっかりと時間をかけて臨みたいと言う松原の姿勢には、スタッフ一同、日本映画の黄金期を支えてきた活動屋魂を見た思いであった。現場ではみんなにも気さくに接する彼女とツーショットの記念写真を撮りたがるスタッフも後を絶たず、映画スターとしての松原の人気はいまだ健在であった。


己に厳しく子供に優しい、ベテラン俳優・津川雅彦

ゆずの葉ゆれて ジイちゃん役の津川雅彦は、前後に別の作品の出演が決まっており、そのあいだを縫う形での出演となった。多忙なスケジュールにもかかわらず、役への取組みには妥協がない。前の作品の最中から、演出部には津川からの役作りに関する問い合わせが頻繁に続いた。現場入りした時点では、脚本の長台詞はもちろんのこと、薩摩弁のイントネーションや劇中で唄う「薩摩兵児謡(さつまへこうた)」もしっかり習得していた。
 津川の序盤の共演者は、幼い頃の武を演じる前田健晴。年の離れた名優の貫禄にはじめは怖がっていた前田も、津川の醸し出す「ジイちゃん」の温もりに触れて、いつのまにか打ち解けていた。これもまた、津川が己の演技に厳しくあったがゆえに築かれた関係であろう。また、家族や弔問客が通夜の席でジイちゃんへの想いを語る場面では、床の中に寝かされた津川は、堂々たる「死にっぷり」で受けの芝居に徹した。この場面では、津川の実の娘でもある真由子が、娘役で共演している。死んだ父親に涙ながらに語りかける真由子の演技は、もの言わぬ津川の佇まいと相俟って、親子の別れに言い知れぬリアリティをもたらしている。


亡き夫の新盆の最中、快く撮影にご協力いただいた丸田家

ゆずの葉ゆれて ロケ撮影には、町内2か所の病院と介護施設、石油備蓄基地とグリーンファーム、南部火葬場、田畑と、帖地の民家などが使用された。
 なかでも、メインの鈴田家は、映画を支援する会の渕田会長の口利きで、物語に近い設定と現場の地の利を考えて、丸田家に決定。なによりの決め手は、丸田さんのお人柄である。ご夫人は、亡夫の新盆の最中で心の傷も癒えない時期にもかかわらず、快くご自宅をご提供くださった。数十年分の生活感のほとんどを撤去され、撮影現場となる部屋ばかりか、夫人の寝室のベッドまで移動して俳優のスタンバイ部屋に使用させていただく。それでも人が多すぎて、隣の納屋までお借りすることになった。夫人には場所の提供だけでなく、助監督のオーダーに応えて、葬式での地元特有の料理まで作っていただいた。この家には、すずちゃんという亡くなったご主人も可愛がっていたという愛猫がおり、通夜や葬儀のシーンで、重苦しい雰囲気が続く中、俳優たちの待ち時間や休憩中に、ほっこりするひとときを提供してくれた。
 また、通夜や葬儀の祭壇まわり、花輪、霊柩車、バス一切の手配は、地元で葬祭業を営む堀之内さんご一家に無償に近いお力添えをいただいた。堀之内さんは、実際の丸田家の祭礼も仕切っていたこともあって、スムーズに進めることができた。


桜島噴火警報に騒然!喜入住民の方々に支えられながら乗り越えたロケ撮影

ゆずの葉ゆれて 雨の中のロケハンからはじまり、撮影期間中はとにかく悪天候に悩まされた。連日の雨にくわえて、土砂崩れなどの災害が相次ぎ、台風の直撃で桜島の花火大会も中止となった。そんな中、支えとなったのは喜入住民のみなさんの惜しみない支援であった。
 クランクイン早々に撮影された、喜入の夏祭りでは、瀬々串の宮崎神社にお祭りの飾りとエキストラの方々を数十人動員。さらに、ジイちゃんとバアちゃんの過去のシーンでは、市電と名山堀商店街のシーンに、朝7時から昭和の扮装に身を包んだ地元住民の方々が大集合。
 一番の大掛かりな撮影は、ジイちゃん役の津川雅彦や武の父・俊之を演じる西村和彦等が参加する駅伝のシーン。ここでは、駅伝選手をはじめ観客として地元の方々に大量参加いただいた。また、地元のアーティスト・塩津洋一さんが美術で活躍してくださった。日曜日を使って二週に渉って撮影されたこのシーン、地元住民の方々のパワーのおかげもあってか、奇跡のような晴れ間の中で撮影された。しかし、津川と大勢のエキストラの方々が絡む県庁前の撮影では、桜島噴火の警報がそこにいた全員の携帯電話から鳴り響くというハプニングも。それでも、なんとか全シーンを撮り終えて、達成感に包まれた現場では、俳優陣と地元住民の方々全員での記念撮影が行なわれた。


地元住民の方々のパワーを貰って、英気を養った撮影隊

ゆずの葉ゆれて 朝晩の食事は、シーメンズのシェフ島袋さんが大サービス。ホテル宿泊のスタッフは感謝でいっぱいだった。また分宿のチームには、瀬戸下さんをはじめとするお達者クラブの御婦人の方々が毎晩、手づくりのおいしいごはんを届けてくださった。うどんレストラン「菊市」さんの昼の弁当も、毎回、予算以上に盛り沢山のおかずをたっぷり詰めた豪華弁当をご用意いただいた。
 なかでも、映画を支援する会の副会長・樋高悦子さんは神出鬼没。地元のオクラ珈琲の販売から、各種イベントでの移動車販売、夜は桜島納涼屋形船で働く八面六臂の活躍ぶり。そんな多忙な仕事の合間を縫って、現場の差し入れまでケアしていただいた。丸田家の室内では、本番中はエアコンも消さなくてはならず熱気で充満している。雨が降らない日には、一転、炎天下での撮影となる。そんな時、樋高さんが差し入れてくれる、愛情がたっぷり詰まったかき氷“ゆずの葉スペシャル(てっぺんには「ゆずの葉ゆれて」の手作り旗が飾られている)”が一番人気で、カラフルな色の冷たーいかき氷に、キャスト・スタッフ一同、みな生き返る思いだった。そればかりか、女性スタッフ用に、ご自宅を宿泊施設としても解放してくださった。撮影期間中、喜入珈琲の軽自動車が走り回る光景を見かけない日はなかった。ちなみに、まだ産着のお孫さんが本作への出演も果たしている。


地元を知るスタッフの参加── 車止めと方言指導に駆けまわる製作進行と4名の学生スタッフ

ゆずの葉ゆれて 撮影には、東京からのスタッフ以外にも市内在住で現場経験のあるスタッフと、地元の原田学園の協力を得て、映画の現場に興味のある学生スタッフ4名にも参加してもらった。なかでも、鹿児島で何本かの映画を経験している制作進行の石神剛は、主にキャスト車の運転と学生スタッフ4名の指導係でもある。その上、演出部からの要請でキャスト陣への方言指導も担当することとなった。完璧な方言を求める津川や松原への指導のため、制作部としての雑務をこなす合間を縫って、服装をあらためて方言指導の先生に早変わり。津川はじめキャスト陣が方言に迷って、「先生!」と石神を呼ぶと、遠くで車止めの真っ最中だったりする石神の姿も、現場で見受けられた。
 石神の指導の下、まるで体育会系の合宿のような現場を最後まで耐え抜いた、4名の学生スタッフにも感謝の意を捧げたい。いずれまた、地元で撮影する映画にかかわる上で、貴重な経験になったであろうことを願う。


初出演のプレッシャーに打ち克った小さな大物、山時聡真

ゆずの葉ゆれて 武がゆずの木の下で泣き叫ぶシーンは、この映画のクライマックスでもある。武役の山時聡真は、待ち時間はいつも明るく元気なのだが、この撮影の前日から笑顔が見られなくなった……。
 当日は、猛暑の中でカットごとに繰り返し泣く聡真の芝居が続く。撮影が進むにつれて水分も受けつけず、現場に同行していたお母さんに八つ当たりするように甘え出す、そのうち、頭が痛い、気持ちが悪いと訴え出した。病院へ行ったほうがいいのではないかと気遣うスタッフに、聡真は病院は嫌ですと断わり、冷房の効いたロケバスで様子をみることになった。この時の様子を振り返って、神園監督は語る。「初めての映画出演だし、重要なシーンの撮影とあって緊張していたんでしょうね。プロの役者と同じように考えてしまいがちですが、彼は普通の子どもですから。大人たちに囲まれる中、あんな小さな胸に、大きな、大きなプレッシャーを抱えて演じていたんです。感情と体調のコントロールが難しかったんでしょうね」スタッフが撮影の中断を検討しはじめた頃、聡真が現場に戻ってきた。「どうもスミマセンでした!」と、みんなに頭を下げて、撮影再開!プレッシャーに打ち克った聡真の頑張りで、無事、乗り切ることが出来た。

ゆずの葉ゆれて 以降の撮影では、いつもの聡真が完全復活!元気いっぱい弾けていた。8月26日、武とヒサオ(木村隆信)の走るアップを撮り終えて、芝居場の撮影は無事、クランクアップを迎えた。小倉の九州男児──山時聡真は、初出演のプレッシャーをはね除けて、すべての撮影を乗り切った。アップの日には、そんな息子を見届けて、気持ちのいい涙を浮かべるお母さんの姿があった。
 ──翌8月27日に、桜島などの実景を撮り終えて、すべての撮影が終了した。桜島を臨む景色の向こうには、これまでの悪天候が嘘のような快晴の青空が広がっていた。

〈ホームページの文章、監修/竹内清人〉

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